文学部からのお知らせ

<スペシャル対談>日本最大級の偽文書 馬部隆弘氏×那須正夫氏(第3回)

お知らせ

文学部歴史文化学科馬部隆弘准教授と大学院薬学研究科那須正夫教授による異分野交差が実現!

馬部先生が満を持して放った中公新書の「椿井文書」について、ライフサイエンスのまさしく最先端に立つ研究者、那須先生が異分野目線でインタビュー。

椿井文書とは、江戸時代後期に椿井政隆という人物が中世のものと称して偽作した古文書のこと。近畿地方に数百点もの数が分布していますが、巧みに創られているため、長らく多くの人が正しい古文書として用いてきました。
馬部先生の新書は、この問題に取り組んだものです。

第3回は、嘘が現代社会に定着してしまう心配はないのか?とこどもたちへの歴史の伝え方についてお聞きしていきます。

※今対談は、コロナウイルス感染症対策(マスク着用・換気・ソーシャルディスタンシング)を講じた上で実施しております。

那須先生「放っておいたら、200年前の嘘が現代社会に定着してしまう。そういう心配はないですか?正しい歴史はあるが、偽物の歴史のほうが、私たちにとっては、より分かりやすいし、よりおもしろい。目の前に分かりやすい絵図はあるし、しかも碑文まである。インターネットにもガイドブックにも載っている。正しい歴史よりも本物に見えてくる。正しい歴史の隙間に"ウソ"を足したら本物の歴史のように見えてくる。」

馬部先生「研究者も、間に嘘をはさみながら、誤解している人もいっぱいいる。研究者も全部の資料に基づいて、これは本物である、と歴史を見るのではなく、この資料をもとに出来上がった論文を読んで歴史を学ぶ。その中にいくらでも椿井文書は紛れ込んでいる。」

那須先生「椿井文書には、その根拠になるオリジナルがない。椿井文書は歴史的にないものを作り上げている。私たちの世界では、オリジナルにあたれ、原点にあたれとトレーニングする。椿井文書の場合、はじめからもとになるものがないわけでしょ。嘘か本当か、素人から見たら分からないわけですね。」

馬部先生「これから先、論文で引用している資料が椿井文書であることを指摘していく、というのはどんどん増えていくでしょう。これで綺麗になっていくと思う。」

那須先生「嘘と本物が混じっていたら、いわゆる作り物として処理されていく?」

馬部先生「椿井文書は、判定基準を論文で示しているので、これから研究で椿井文書を使う人は減っていくと思う。でも、過去に出た、〇〇市史とかは図書館に未来永劫残るわけですよ。それを読む一般の人が、それをホームページに載せて使ってしまうというのは、我々は止めようがない。椿井文書があるんだということを世間に知らせるのが僕の中の課題だったんです。じゃあ、何で15年も黙っていたのか?論文しか書かなかったのか?と言うと、椿井文書という存在を突然知らせたら、持っている人は捨てたり、絶対に見せないとなる。見せてくれそうなところの情報を全部集めたうえでないと、世間には広められないという側面もあって。実は、10数年ずっと見せてほしかった家があったのですが、絶対に無理ということになって、もうそろそろ新書を出してもいいかなと思いました。所蔵者との距離感を取りながらやらなければならないという研究の難しさがあります。」

馬部先生「椿井さんをちゃんとこの本で有名人にしたつもりなんです。あの例の有名な椿井さんが我が町にも来てくれたんだ、となれば、それでいい。」

那須先生「そういうふうに持っていったらいいですね。一般的には、贋作師が何か作ったというイメージを持ってしまっていますが。」

馬部先生「映画監督が我が町を題材にフィクションで映画を一つ撮ってくれた、でいいんですよ。」

那須先生「そしたらそれがお寺の宝でも問題ない。これからどんどん出てくるかもしれませんね。」

馬部先生「どんどん見せてもいいとなるかもしれない。」

那須先生「なんでもおもしろおかしくイベントにしてしまおうという、イベント社会が問題だなぁという気がする。」

馬部先生「町おこしの場合、自分の都合の良いデータだけを集めてきて、何でも作れる。その時に、椿井さんは都合のいいものたくさん持っているから、利用されている。
仮に、その絵図が怪しいと言っても、でも江戸時代にはそういう伝承があったんだという使い方をする。実際には江戸後期の椿井さんが作ったものなんですよと言っても、一回使ってしまったら、少なくとも江戸後期にはそうゆう伝承があったんだとなってしまう。椿井の頭の中の出来事だよと言っても、いや江戸時代にこれは伝承されていたという言い方をする。」

那須先生「そのあたりが問題です。」

馬部先生「そういう反論はけっこうあります。新書が出たあとも反論があります。私たちは、椿井文書に基づく説をこどもたちに関心を持ってもらうきっかけにしか使っていないという言い方をする。実は、それが一番問題。こどもに嘘のきっかけを教えても意味がない。」

那須先生「200年前の世界ではそれでよかった、200年経って、それが事実のようになって、こどもが本物と思う。広報資料は、学術資料ではない。どうしたらよいでしょう?」

馬部先生「失敗例をあげることですね。過去、私が勤務していた教育委員会の指導主事が『偽物でもこどもに関心を持ってもらえればいいんだ』と言っていましたが、この一言はその町の恥。この一言が恥ずかしいんだよというのが伝われば、似たようなことはやめようと思うはず。」

那須先生「言われた人は反感を持ちますね。こどもに何を与えたらいいか、言い方はどうしたらいいでしょうか?」

馬部先生「関心を持ってもらうために嘘を言うくらいなら、歴史を使わなかったらいいんです。こどもに関心を持ってもらえるような歴史がないのなら、そこはそういう地域なので無理に歴史を使わなくてもいいんです。」

那須先生「何もないということも、それも一つ大切な歴史。」

馬部先生「何もないわけではない。絶対に歴史はあるので、歴史を、事実を語ればいい。」

那須先生「ウケを狙ったらいけない。ありのままの歴史をちゃんと、こどもに正直に伝えましょう、と。」

馬部先生「こどももバカではない、事実を聞かされれば、ちゃんと事実を理解します。受け継いでいってくれるはず。大人の勝手な勘違いです。」

那須先生「大人が勝手にこどもが喜ぶだろうと、怪しい歴史を勝手に本物のように見せることは絶対に避けなければならないですね。正直に地域の歴史を語れば、こどもは素直に受け入れる。」

馬部先生「地域の正しい歴史をおもしろくないと思うのがおかしいんです。いくらでも調理のしようがある、どの地域だって。」

那須先生「具体的に、正しい歴史を調理した例とかありますか?」

馬部先生「どの地域の学芸員もみんな頑張ってやっています。例えば、どこでもできることだったら、江戸時代の村長にあたる庄屋さんの庄屋家文書はどの地域にもある。素朴な展示であれば、庄屋さんの日常のお仕事を紹介するだけでも十分楽しめる。本学のある錦郡村にも庄屋家文書はあります。江戸時代の村でも選挙をやっていたとか。村の日々の生活のおもしろい話しをポンと出すのはどこでも可能なんです。」

那須先生「どうしても差別化をしたくなる、そこに椿井文書が出てくる。でも、正しい歴史を上手に使ったほうが、こどもはついてくる。無理矢理にイベントにしないほうがいいですね。」

「耳皇子墳陵」(本学図書館所蔵)

日下と署名がずれている椿井文書(クリックして拡大)

最終回は7月3日(金)に掲載予定です。今後の展望と本学学生の古文書での学びをお届けします。次回もお楽しみに!

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