教員コラム

『ゴドーを待ちながら』を上演

人間社会学部 人間社会学科 現代社会コース 教授 村尾敏彦

「現代社会論」という授業があります。15回の授業を、現代社会コースの6名の教員が2回ずつ授業を担当します。昨年度のわたしの担当の授業は、「芸術が地域社会に何をもたらすことができるか」をテーマにしました。その中で、『ゴドーを待ちながら』という演劇の上演が地域社会に何をもたらしたかを説明しました。この作品を授業中に見てもらうために、本学の演劇部に協力してもらい、12月の授業で上演することにしました。

サミュエル・ベケットの台本どおり上演すると2時間くらいかかります。そこで、2種類の日本語訳(安堂信也・高橋康也訳と岡室美奈子訳)を参照して、新たに構成して30分以内に上演が終わる台本を作りました。ふつうなら5人の役者が必要ですが、中心人物の二人ウラジミールとエストラゴンだけに絞りました。さらに、軽音楽部の学生に頼んで、キーボードの生演奏を挿入しました。いくつもの短いシーンのあとで音楽を流し、その間二人の役者はロープを使った遊びを舞台上で繰り返すという演出にしました。

もうひとつ、新しい要素を追加しました。サイトスペシフィックなドラマとして上演するためです。他ならないその場所で観客に提供することで、その作品がその場ならではの意味や効果を生み出すことを、サイトスペシフィックと呼びます。大学で『ゴドーを待ちながら』を上演することによって、もともとの台本の意味の層にどんな新しい意味の層を付け加えることができるでしょうか。『ゴドーを待ちながら』の上演の始まりに、もとの台本にはない新しいシーンを付け加えることにしました。それは、以下のようなシーンです。

教員
さて、地域アートの特徴のひとつは、サイトスペシフィックです。その場ならでは、という意味です。大学で『ゴドーを待ちながら』を上演する場合、「その場ならでは」とは何でしょうか?学校というものについての考察です。では、みなさんにとって、学校とはなんでしょうか。

二人の学生が駆け寄って、教員からマイクを奪い、語る

学生1
授業中に窓から外を見ると丸い小さな雲が見えました。きのうも、一昨日も、明日も、同じように雲を見ている気がする。小学校のときも、同じ雲を見ている気がして。

学生2
将来について聞かれれば一応もっともらしいことを言うんだけど。大学では将来の準備をするんだって言われるから。でもほんとうは、なんか違う。ほんとうは目標もない。とくに関心もない。ほんとうは何もすることがないのかも。

客席の明かりが消える

シーリング・ライト ボーダー・ライト アッパーホリゾント・ライト 灯る

音楽が聞こえる 

エストラゴンが座ってカバンの中を探っている。ウラジミールはあちこち(客席も)歩き回って周囲を観察している。

音楽消える

エストラゴン 何もすることがない。(ロープを床にたたきつける)

この台本の中の「教員」は私が演じました。というよりも、授業の延長でこの台詞を口にしただけです。「学生1」と「学生2」は演劇部の学生で、暗転と音楽のあとで、それぞれエストラゴン、ウラジミールとなって舞台で演じ始めたのです。

ワークショップ論