教員コラム

『ペスト』(カミュ)とコロナ禍

人間社会学部 人間社会学科  現代社会コース 教授 村尾敏彦

2020年度の授業内容を計画したのは今年の12月・1月ころでした。大学周辺の地域をテーマにした演劇を上演したいと考えていました。基礎ゼミⅡの授業の中で、地域の人たちにインタビューしてその材料を集め演劇の準備をしようと計画しました。しかし、2年の基礎ゼミに学生が集まりませんでした。さらにコロナ・ウィルス感染拡大のため、演劇の練習の目途もたちません。無理だとあきらめました。

3月終りに、カミュの小説『ペスト』のことを思い出しました。コロナ禍の現在を捉える視点を見つけられないかなと思ったのです。面白いことに、同じようなことを考える人たちが多くおられるようで、『ペスト』がよく売れているようでした。新潮社の『カミュ全集4』(宮崎嶺雄訳)で読んでみると、2つの視点を見つけることができました。

まず、ペスト禍前の社会では潜在化して見えにくかった問題が、ペスト禍の社会ではもっとはっきりと姿をあらわす、という視点です。現在のコロナ禍では、アメリカ合衆国でコロナ・ウィルスによる死亡率が、白人よりも黒人の方が高いという報道がありました。経済格差という問題が露わになったのです。

次は、より普遍的な考え方を思い出させてくれる、という視点です。コロナ禍では、日本だけでなく世界の劇場で演劇上演が不可能な状況で、無料でWEB上に上演映像を提供する試みがありました。芸術はすべての人々のためにある、というより普遍的な考え方がそこによみがえっています。

そんなことを考えていると、この小説を上演用台本に構成できないかと思い始めました。上演する目途はありませんが、最初と最後のシーンだけ台本をつくってしまいました。以下のようなものです。

シーン1
人々は町の門が開いて隔離から解放されたことを祝賀して歩いている。町の中にいた人々、町の外から久々にやってきた人々が、互いに喜び合う。
グランベールは、1年ぶりに恋人をみつけ、駆け寄る。
その中に喜びに感染できないリウーが現れ、舞台中央に辿り着く。
人々が静止して、物音が止む。

リウー :
このときだ、この物語を書きつけようと決心したのは。

暗転

シーン2
人々の足音だけが聞こえる。徐々に明かりが強まると人々はマスクをしている。

リウー :
4月16日の朝、診療室から出かけようとして、階段口のまんなかで一匹の死んだネズミにつまずいた。とっさに、気にもとめず押しのけて、階段を降りた。
しかし、通りまで出て、そのネズミがふだんいそうもない場所にいたという考えがふと浮かび、引っ返して門番に注意した。

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最終シーン
人々は町の門が開いて隔離から解放されたことを祝賀して歩いている。町の中にいた人々、町の外から久々にやってきた人々が、互いに喜び合う。
グランベールは、1年ぶりに恋人をみつけ、駆け寄る。
その中に喜びに感染できないリウーが現れ、舞台中央に辿り着く。
人々が静止して、物音が止む。

リウー :
このときだ、この物語を書きつけようと決心したのは。
人間の中には、軽蔑すべきものよりも賛美すべきもののほうが多くあるということを言うためだけに。

暗転

ワークショップ論