蒔絵刺繍道具箱
中国の清時代に宮中で用いられ、やがて琉球(現在の沖縄)に伝えられたという刺繍道具を入れた箱である。
外面には金地にいろとりどりの美しい花鳥文様が見られる。箱内部はいくつかの仕切と箱が配置され、それぞれに象牙の蓋が用いられている。とくに蓋は細かな山水文様が彫刻され、豪華さを一層際だたせている。内部に納められた刺繍道具はいずれも象牙で作られている。
同向式神獣鏡
扁平な円鈕を中心に神仙像と獣像が同一方向に配置された同向式神獣鏡である。
主文の外周に半円方格帯を巡らせる。方格内には「三日三主□・・・」の文字を認める。外区には「黄初二年・・・」の銘帯を巡らせている。
黄初は中国魏の年号で西暦221年である。
対置式神獣鏡
神社の神宝として伝世されてきたという。文様は内区に神像と獣像が、さらに詳しく見れば神像の両端に龍鳳像が配され、それらの神像は東王父と西王母であろう。これらの神獣像を囲むように半円、方形の帯状文が巡っている。外区の周縁部には銘帯がみられるが、文字は鋳上がりが悪く、さらに逆文字である。文字は、「宝鼎二年十月□□□造作明鏡百錬□銅服□□」とある。
宝鼎は、中国呉時代の年号で西暦266年から268年まで続いたもので、宝鼎二年は西暦267年に該当する。
重列神獣鏡
神獣が横に列をなして配列される鏡である。
後漢から三国時代の中国で製作されたものである。
銘帯に「建安」とあり、その製作年がわかる。
画像鏡
鏡縁は断面三角形を呈する。
外区の四方には五銖銭文を配し、圏線で区分された内側に鋸歯文、外側に四神文を配する。円座乳の外側には連珠文を巡らせる。主文帯の四方に、円圏を伴う円座乳を配す。
4分割された各区にはそれぞれ、神像2体、鳳凰2体、獣像2体、車馬を配する。いずれも半肉彫り表現である。左の神像は東王父、右の神像は西王母であろうと思われる。内区外周には銘帯と櫛歯文帯を配置する。銘帯には「□氏作竟大母相 明如日月佳且好上有東王父西王母」の22字を時計回りに巡らせる。
方格規矩鏡
鏡背には鈕を中心に四葉座を配し、その周囲に12の小乳と十二支の銘文が配置された方格、さらに方格の各辺中央にT字、それに対峙してLの逆字、方格の四隅に対峙してV字形を配置する。
さらにT字の両側に小乳を置き、L、Vの間に細線式表現による獣形を加えている。その周囲には「尚方作竟真大巧・・・・・・」と銘文が見られる。外区には鋸歯文、流雲文が巡らされている。
貼銀瑞鳳八稜鏡
伏獣形の鈕を中心に鳥文4、花枝文を交互に配置する。鳥の内二羽は葉を咥えて飛ぶ。鳥の羽、花枝文の葉脈、獣鈕などの細部を毛彫りで表現し、地文に魚々子文が密にみられる。青銅製の鏡体に文様を打ち出した銀板を貼付した特異な鏡である。
双鸞鏡
対鳥文を上、中、下の三段に配し、中段では二羽の鸞鳥が鈕を挟んで向かい合う。いずれも蓮華の上に立ち、首にかけた綬帯がなびいている。その背後には雲気文、下段には宝相華文を挟んで綬をくわえた二羽の鳥が対峙する。吉祥文様で飾られた鏡である。
彩文土器
世界中の新石器時代に用いられていた土器で、表面には美しい文様を描いているのを特徴とする。西アジアでは紀元前5000年頃に生まれたといわれている。中国の彩文土器をとくに彩陶と呼ぶ。また発見者にちなんでアンダーソン土器とも呼ばれている。仰韶文化期、馬家窯文化期などに盛んに作られた。その文様は器面に顔料で動物や幾何学的な文様を描いたもので、その顔料としては酸化鉄がよく用いられた。
黒陶双耳壺
口縁部と胴部をつなぐ二つの耳を伴うアンフォーラー型の壺で、牛目形といわれる渦巻文を漆黒の器肌に浮き立たせている西方的な様式の壺である。従来知られている例は、高さ15cm前後であり、この種類の例としては大型である。四川省理県にあった箱式棺から前漢時代後期の遺物とともに出土している。なお後漢時代のものとする説もある。
灰陶・印文陶壺
大型の印文硬陶の壺である。口縁部は直立しており、蓋を伴っていた可能性も捨てきれない。胴部は上位に最大径を持つ縦長の形状をなし、底部は平らで安定性を有する。胴部外面のすべてに幾何学的な印文を施している。当該印文はいわゆる米文字文様である。数例は浙江省紹興にあった戦国時代の墳墓群などから出土している。
紅陶馬俑
軟質の焼き物で作られた比較的大型の馬俑である。頭部には轡(くつわ)の表現がみられるが鞍などの表現はみられない。紀元前3世紀末の秦始皇帝陵墓近くの兵馬俑坑からは、多数の大型の兵馬の俑が出土し、その発展をさらに物語る。
加彩人物俑
軟質の焼き物で作られ、表面に彩色を加えた人物俑である。頭部に冠をかぶり、衣服は上下衣から構成されており、一方の俑はさらに短めの挂甲を着ており武人と見られる。他方も武人の可能性があるが、着衣は異なる。
唐三彩・鎮墓獣
唐三彩で作られた墓地の入り口に配置された、墓を守る俑である。かつては双角と単角、阿吽の形をとる鬼頭と呼ばれる俑二体で一対を成していた。20世紀の初頭に、鉄道工事によって中国河南省洛陽にあった貴族階層の墓地が破壊され、そこから大量に出土したことから知られるようになった。
古越・天鶏壺
古越州は漢時代から六朝時代に、中国大陸の華中、華南一帯で作られた青磁である。したがって釉色の鮮やかなものばかりでなく、様々な出来のものが見られる。器種的に多いのが天鶏壺で、鶏形の注ぎ口がつき、太い把手が口縁部から胴部をつないでいる。水注であるが、もともとは酒を注ぐ器種として作られたと考えられている。
青磁・三魚文碗
青磁としてはかなり発展した段階の製品で、比較的小型の碗である。内面には三匹の魚とその間には波を表現した刷毛目文様を配置する。青磁の美しい青い釉と文様が美しくマッチしている。
縄文(深鉢形)土器
計測器のキャリパーに似ていることからキャリパー形土器と呼ばれる。胴部表面には三条の沈線によって波形文様、またその間には縄文が各々施されている。口縁部には、動物に擬した突起状装飾を付している。
須恵器・装飾付長頸壺
小型の壺を伴うことから子持壺とも呼ぶ。子壺と子壺の間には小さな動物を配置する。首が長く、体に斑点を持ち、さらに角をもつものもあり、鹿を表現したものと思われる。鹿を装飾に用いる例は多く、和歌山県岩橋千塚古墳群、兵庫県西宮山古墳などから出土している。
須恵器・平瓶
横に長い偏球体の体部の一方に偏って口頸部を貼付する独特の形態の器種である。酒などを注ぐ役割を果たしたと思われる。天井部に見られる釉は、焼成段階に自然の灰が偶然に流れて緑色に美しく発色したものである。
須恵器・装飾付蓋、脚付有蓋壺
蓋は天井部中央に小型の壺を貼付しており、本来は子持ち壺に伴っていたものと推定される。脚付き壺は上部に蓋を受けるたちあがりを認めることから蓋を伴っていたと見られる。両者は本来の組み合わせではないが、特徴から、同じ産地で同じ時期のものと見て良いだろう。
須恵器・はそう
大きく広がる口頸部と小型の丸い球体の体部から形作られる独特の器形である。その文様帯状に円孔を穿っている。ここに竹筒をいれて注口として用いたとも楽器としたものともいわれるが、前者の可能性が高い。
備前 四耳壺
中世六古窯の一つ備前焼は、岡山県で生産された須恵器に源をもつ焼物である。これは、肩に四個の耳を伴う四耳壺と呼ばれる器種で、広島県福山市の寺院に伝わったものという。赤っぽい肌と緑色の釉がうまく調和し、独特の美をつくり出している。